バーナード・スーツ著

評 河野哲也 立教大教授

遊びにこそ生きる価値

 著者は日本では知られていないが、これほど構想の大きい本を最近、読んだことがない。

 キリギリスとは、イソップ童話に出てくるあの遊び人のことである。キリギリスの生き方とは、人生を「ゲーム」として「プレイする」生き方であり、著者によれば、それこそが「最も生きるにたる人生」である。

 遊びはそれ自体に価値がある。仕事(ワーク)は何かの価値の手段である。しかしゲームをプレイすることは不思議な行為だ。真剣にやらねばならないが、他方で、プレイヤーにはゲーム以上に価値のあるものが存在し、いつでもそのプレイを止める理由がある。たとえば、選手が死んでも続行されるサッカーなど不謹慎で不愉快だ。

 ゲームはルールがなければ成り立たない。何であれ王将を取ればいいならば将棋にならない。ルールは目的追求の手段を制限する。ルールに従い敗北が生じるのは、ゲームの不可欠の要素である。だが、人がルールを守るのは、行為を制限するためではなく、そのゲームを続行したいからである。よって、ゲームのルールは、道徳のルールや交通法規とは全く異なる。交通法規は安全のためにあるのであって、自動車の運転を続行するためではないからだ。

 著者の最終的に言いたいことはおそらくこうだ。基本的な欲求が満たされている現代社会では、もはや生存を維持するためだけにやる仕事はあまりない。私たちは、やりたいことをプレイするキリギリスである。現代社会では生きる意味はゲームを遊ぶことにしか見いだせない。

 民主主義もゲームである。それを続行するためにはルールを守らねばならず、敗者になることもそのゲームの一部である。しかし、アリはゲームを仕事と勘違いする。不必要なことを必要と取り違え、ゲームを続行しようとせず、ルールを無視して勝ってすべてを終わらせようとする。やめるべきときに行為を止められない。ゲームは、日本社会を上品にするために是非必要な概念ではなかろうか。

(川谷茂樹、山田貴裕訳/ナカニシヤ出版 2808円)

<略歴>
1925~2007年。カナダの哲学者。「ゲームとは何か」などの著書があるが、邦訳は本書が初めて。