中沢けい著

評 永田浩三 ジャーナリスト

表現の自由 対話で追求

 ネットにあふれる憎悪の表現、「朝鮮人をぶっ殺せ!」と叫ぶヘイトスピーチ。得体のしれない言葉の暴力の正体をつかむため、筆者は8人の識者とスリリングな対話を行った。

 ことの始まりは2012年8月。李明博(イミョンバク)大統領の竹島上陸の背景には、日本の右翼政党による挑発があったと書いた筆者に、ネット上で激しい攻撃が襲いかかる。

 はたしてヘイトスピーチは表現として守られるべきものなのか? 筆者は否と考える。罵詈(ばり)雑言がひとびとを萎縮させ表現の自由を妨げるのだと。

 ルソーは「エミール」のなかで、憐みの感情こそが闘争をなくし、人間社会の基礎となると言った。ヘイトスピーチはその憐みとは対極にある。筆者はこうも語る。「私はヘイトスピーチの問題にかかわったときに、旗幟(きし)を鮮明にしようと決めたんです。…立場を超えたところまで考えるという小説家の持つある種のものの感じ方や考え方は休業するという宣言をしたわけです。」

 ヘイトスピーチをする側は、本音を言って何が悪い、自分たちこそ世直しをしているという意識がある。この風潮はいつからエスカレートしたのか。2001年、慰安婦問題をとりあげたNHKの番組が改変された事件が節目ではないかと筆者は考える。歴史に学ばず、加害に目をつぶり、自分は被害者だと言いだす。この事件に深く関わった制作者としては責任を感じて身が縮む思いだ。

 ヘイトスピーチには対抗言論は立てられない。なぜなら、ゴキブリやブスといった暴言に対して、私はブスではないと反論することは不毛だからだ。

 対話の相手は、アジアとつながり、人権と民主主義を大切にし、人間の可能性を信じるひとたち。ときには親鸞を、水上勉を、金城一紀を語る。筆者は小説家を休業、と言ったがどうしてどうして。かたときも作家であることをやめず、言葉の力を追求するための対話を続けた。ページを繰るのが惜しいほどの本だ。

(人文書院 1944円)

<略歴>
なかざわ・けい 59年生まれ。作家。78年「海を感じる時」で群像新人賞。著書に「動物園の王子」「楽隊のうさぎ」など。