沢木耕太郎著

評 藤島大(スポーツライター)

ボクシングを生きる男たち

 おとぎ話が「本当」を手放さない。ボクシングだからだ。この崇高な競技において夢とは、それが不可欠という意味で現実である。

 昔、4人の有為で悲運のボクサーが同門にいた。サセケンの三段打ち。次郎のインサイド・アッパー。キッドの腎臓打ち。仁のクロス・カウンター。それぞれが得意技を誇った。

 世界チャンプの夢破れ、悲哀を生き、老境を迎え、再会、いや再集結、わけあり物件の「白い家」に共同で暮らしながら、いつかの自分のような若きボクサーを教え導くようになり、そのことで消しても消せぬ永遠の青春に血は通った。

 米国に渡り財を築いた篤志の元ウエルター級、仁。モハメド・アリを揶揄(やゆ)した男を殴り獄につながれたスッカラカンの元ライト級、次郎。かつての同僚はあのころの汗、恐ろしさや喜び、悔いをともにしたという一点でまったく同格に無垢(むく)な青年の前に存在する。ボクシングという絶対のもとの平等。自由だ。ライクでなくラブ、骨まで愛したスポーツは当事者にとって社会よりも大きい。

 著者はノンフィクション作家として長くジムとリングを追ってきた。見て、聞いて、書いた蓄積は、ことさらに声を発するまでもなく、フィクションである本書のページに刷り込まれている。リアリズムを超えた展開があっても「ボクシングそのもの」の外に出ない。「本当」のくびきがあるから情景の内圧が高まり読者の感情に届く。

 山梨名物のほうとう、楡(にれ)の木の長テーブル、ヘミングウェーの短編『五万ドル』、ロサンゼルスのターミナルホテル、それらのすべてはボクシングによって輪郭を濃くするのだ。

 刑務所の面会室で次郎は言った。「俺たちに、元ボクサーという以外の生き方はあるんだろうか……」。読後、ある、という気にさせられた。「元ボクサー」ではなしに「ボクシング」という人生が。開始と終了のゴング、その恍惚(こうこつ)と悲しみを知る人間は死ぬまでボクシングを生きる。実社会でも小説でも。

(朝日新聞出版 各1728円)

<略歴>
さわき・こうたろう 1947年生まれ。作家。著書に「一瞬の夏」「深夜特急」「凍」「キャパの十字架」など