タナハシ・コーツ著

評 中村和恵(明治大教授)

米国で黒人として生きること

 15歳になる息子に宛て、父が手紙を書く。黒人としてアメリカ合衆国で生きるということがどういうことか、なぜそうなのか、どうあってほしいのか。

 むずかしいことから逃げずに歴史の事実を知り、理不尽なことに怒り、恐れず戦ってほしいと、愛情をにじませながら父はいう。父と同じ黒い肌の息子はもう、偏見に立ち向かわずには自分は母国で生きられないのだと、知っているから。

 丸腰の黒人少年を撃ち殺した警官が、釈放されたと知り涙する息子を、父は安易に慰めたりしない。250年も黒人を奴隷として使役してきた国で生き抜くには、まずこの状況を受けとめる必要があるから。

 手紙のかたちで書かれた本だが、同時に伝記、哲学、アメリカ史、ときに散文詩のようでもある。著者コーツは白人富裕層が住む郊外とは別世界の、ボルティモア市中の荒っぽい環境で育った。彼の子ども時代を圧迫したストリートの不良たちの世界と、黒人は「2倍行儀よく」しろという学校は、いずれも暴力が支配する小社会で、その暴力は恐怖から生じていた。

 黒人は暴力的、だから黒人に暴力をふるっていいという思いこみの根深さを、彼は身をもって体験してきた。11歳のとき、セブンイレブンの前で目が合った子が、銃を出した瞬間の記憶。大学時代、穏やかな微笑(ほほえ)みが印象的だった知人が、同じ黒人の警官に撃ち殺された事件。初めてアメリカを離れ訪れたパリで知り合った人と散歩にでかけても、路地で襲われるんじゃないかと警戒せずにはいられない。それがアメリカで黒人として育った彼の身体感覚なのだ。

 世界と僕の間には深い溝がある、隔てているのは「僕らが生まれつき備えてるものなんかじゃなく」、レッテルを貼る側の思惑だ、とコーツはいう。つまり問題は人種じゃない、もっと大きい、あらゆる人々に関わる、勝手に貼られ続ける無数のレッテルなんだと。この視点、いいなと思う。想像力と共感が、同心円状に広がっていく。

(池田年穂訳/慶応義塾大学出版会 2592円)

<略歴>
1975年生まれ。作家、ジャーナリスト、教育者