垣添忠生中川明紀撮影

垣添忠生
中川明紀撮影

中央公論新社 1296円

中央公論新社 1296円

妻と、グリーフ・ケアと歩む

 妻の慰霊だから、あえて過酷な夏を選んだ。

 2015年7月、著者は四国八十八カ所の巡礼に出た。1番札所の霊山寺(りょうぜんじ)(徳島)から38番札所の金剛福寺(こんごうふくじ)(高知)まで、約600キロを25日かけて歩いた。

 「最初は全身筋肉痛となり、足の裏のまめにも悩まされた。汗がすごかった。10日ほどしてようやく体が慣れました」

 妻の昭子さん(享年78歳)が、がんで亡くなったのは2007年12月31日。「家に帰りたい」という強い思いを受け入れ、戻って4日目、著者は一人で最期を看取(みと)った。

 国立がんセンター名誉総長の著者は葬式を終えると、深い悲しみに襲われた。覚悟していた妻の死だったが、想像を超えていた。「わずか4ミリで見つかったがんを治せなかった」と悔やんだ。仕事から帰ると涙が噴き出し、強いお酒をあおる日が続いた。

 こんな姿を妻が見たら…。3カ月後、悲しみ(グリーフ)から立ち直るために自ら行う癒やしの作業「グリーフ・ワーク」を始めた。腕立て伏せ、背筋を鍛えるトレーニング、居合(いあい)の稽古を繰り返し、1年がかりで絶望の淵から脱していった。

 お遍路に出たのは妻の死から丸7年という節目もあった。道を一歩ずつ踏みしめて行くと、妻との40年にわたる生活がよみがえってきた。北海道にもカヌーや登山で訪れた。昭子さんが亡くなる3カ月前には秋の十勝川をカヌーで下った。

 やはり、妻の最期が目に浮かんできた。昏睡(こんすい)状態で呼吸困難にあったが突然半身を起こし、目をぱっと開いた。夫を見つめ、手を握った。声にはならなかったが「ありがとう」と思いを伝え、静かに息を引き取った。

 「慰霊の気持ちはすぐに妻への感謝と変わっていった。道中、亡き妻が一緒に歩いていると感じていました」。杖(つえ)を突きながら「アブちゃん(昭子さんの愛称)、ありがとう」と何度も唱えた。

 著者は国立がんセンターの総長だったとき、天皇陛下の前立腺がん手術を執刀した医師団を率いた。75歳の現在、日本対がん協会会長として講演などで全国を飛び回る。

 「配偶者や家族を失って悲しみ、苦しみの中にある人がたくさんいます。その心の痛みを軽減するグリーフ・ケアを社会的に定着させていくことが、私の残された人生での使命と考えています」

 今年に入り、高知の1カ所と愛媛のすべての寺を巡った。来年は最後の香川に挑んで八十八カ所を終える予定だ。

編集委員 伴野昭人