高橋弘希「日曜日の人々」 際立つ筆力の野心作

宮崎誉子「水田マリのわだかまり」 「軽さ」こそがくせ者

(2017/05/26 夕刊掲載)

 高橋弘希「日曜日の人々(サンデー・ピープル)」(「群像」6月号)は、芥川賞候補にもなった新潮新人賞受賞のデビュー作「指の骨」以来、1作ごとに果敢な挑戦を行ってきた気鋭作家による、新たな野心作である。

 一時期は恋人と言ってもいい関係にあった同い年の従姉(いとこ)が自殺し、大学生の「僕」のもとに彼女が残した手記が届けられる。そこには彼女が出入りしていた心に闇を抱える者たちが集うサークル「REM(レム)」のことが綴(つづ)られてあった。「僕」は正体を隠してREMに参加する。REMの集会は「寝室(ベッド・ルーム)」と呼ばれるマンションの一室で行われている。それぞれにさまざまな問題を持つメンバーの告白は逐一文章に記録されており、集会が日曜日に行われることから文集は「日曜日の人々」と呼ばれている。その死に納得がいっていない「僕」は従姉の告白を読みたいと思う。物語は「僕」が従姉の自死の真相に近づいてゆく過程を、彼とREMのメンバーたちとのかかわりを絡めながら描いてゆく。

 迫力のある作品である。細密なディテールによって大方の読者には(そして作者自身にも)馴染(なじ)みのない非日常的な世界に強烈なリアリティーを与えるこの作家の才能は今回も遺憾なく発揮されている。どうしようもなく重く暗く悲惨な話だが、負のドラマツルギー(作劇法)に溺れることなく、真正面から主題に取り組んでいるのも頼もしい。人物造形も巧みで、特に拒食症のひなのという女の子が抜群に魅力的だ。全体の構成にはわかりにくいところがあり、ラストはちょっと甘いのではないかとも思ったが、これはかなりの力作だ。筆力という点では並み居る新人作家の中で際立っている。

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 新潮新人賞で高橋の後輩に当たる古川真人(まこと)の第2作「四時過ぎの船」(「新潮」6月号)を、芥川賞候補に挙げられたデビュー作「縫わんばならん」よりも面白く読んだ。

 亡くなった祖母佐恵子が、夫亡き後10年ものあいだ独居していたが、彼女の死後2年にわたり放置されていた島の家を片付けるため、大村稔は兄の浩と、佐恵子の娘である母美穂と相前後して島にやってくる。浩は全盲だがプログラマーとして一般企業で働いている。稔は30歳を目前にして無職であり、兄と二人で関東のマンションに暮らしている。兄の生活を補助するためと言っているが、それがたとえ事実であっても、一種の言い訳にすぎないことを、誰よりも稔自身がよくわかっている。佐恵子は島でひとり暮らしをしていた晩年、認知症に罹(かか)り、思いついたことをすぐさま忘れてしまうようになっていた。稔は島の家で、祖母の字で書かれたメモを見つける。「今日ミノル、四時過ぎの船で着く」。佐恵子がこのメモを書いた一日と、稔たちが祖母の家を訪ねた時の出来事が、並行して綴られてゆく。

 1作目よりも文章は大分こなれている。「過去」を喪失していく祖母と、「未来」への意志を抱けない孫が、二重の「現在」において出会うという最後の一文も、なかなか気が利いている。しかしまだ全体として生硬な感触は否めない。ある意味で、丁寧に上手に書こうとし過ぎなのではないか。もっとのびのびと、脱線や肥大をおそれずに、自分にしか書けない世界に取り組んで欲しいと思う。

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 宮崎誉子(たかこ)「水田マリのわだかまり」(同)は、独自の世界観と唯一無二の文体を有するユニーク極まりない寡作作家の待望の新作中編である。3日で高校を辞めて現在は洗剤工場で働く「水田マリ」の過酷で夢のない、だがお気楽に見えなくもない生活を、ドラマ性希薄、会話多めで物語っていくのだが、低賃金労働といじめを主なテーマにしていながら、ノリはあくまでも軽い。

 だがこの「軽さ」こそがくせ者なのであって、「マリ、ちょっお前の顔ヤバくね? なんか瀕死(ひんし)のリスみてーだけど大丈夫かよ」「大丈夫じゃねーよ。洗剤の原液が持つ破壊力がマジ、鼻の奥まで侵入してくんだもん」「それって、マスクすりゃよくね?」「そうかもね」(マリと彼氏の会話)とか、「ニコ、いつ会っても顔ちっちゃーい」「え~大きくなってもぉ、友達でいてくれる」「今でも無理かも」「え~ミズマリったら、ムリマリかよ。マジドSだよね」(マリと友達の会話)などといった(かつての)若者言葉満載のどうでもよさげな会話を読んでいると、不思議な多幸感と、同じくらいの量の怒りや哀(かな)しみのようなものが、じわじわと立ち上がってくる。

 いわゆる「文学」らしさを徹底的に排除しつつ、こんにちの「文学」が取り組むべき題材を敢然と相手取っているという点で、宮崎はすこぶる貴重な存在である。この小説が描こうとしているものは、高橋弘希の「日曜日の人々(サンデー・ピープル)」のそれと、ほとんど同じなのだ。

佐々木敦(ささき・あつし=批評家)