作り続けて100年。つまり、買われ続けて100年。谷田製菓(栗山町)の「大甞飴(たいしょうあめ)」だ。これは、すごい。師走のある日、JR室蘭線沿いに立つ工場をズウさんと訪ねた。

 通りから奥まった場所に、歴史を刻んだれんが造りの工場があった。「昭和20年代の建物です」と谷田進太郎社長(62)。工場内の見学用通路からは作業場全体が見渡せた。十数人が忙しく立ち働いている。

 大甞飴の製造は1915年(大正4年)から。大正天皇による大嘗祭(だいじょうさい)にちなんだ命名だ。谷田製菓と言えば、桃太郎のイラストで知られている「日本一きびだんご」が思い浮かぶが、製造開始は大甞飴の8年後。13年(同2年)創業の谷田製菓の草創期は、「大甞飴が支えたんです」と谷田社長は話した。

 ここで、夕張出身で戦後生まれのズウさんが思い出話―。「大甞飴もきびだんごも懐かしい。実家が食料品店で、家で売ってたからね。小学生の時には、ここの工場を見学したよ。お土産にきびだんごをもらって。うまかったなあ」。谷田社長は「そうですか」とうれしそう。

 工場では、作業員が釜で加熱した麦芽水飴(みずあめ)を平らな台に流し入れ、黒ごまを投入。製造過程で出た大甞飴の端切れと一緒にヘラでかき混ぜていた。飴は茶色の液体状だったが、冷えるうちに粘りが増してきた。それを機械でこねると、一瞬でモチのように真っ白に。谷田社長は「空気が入ると色が変わるんです」。白い飴の塊を手作業で四角形に整え、機械で圧迫。冷やして固め、商品のサイズごとに切りそろえ、オブラートで包んで包装すればできあがりだ。

 早速、一口サイズを試食した。包装紙には羽を生やした天使のイラストが描かれ、レトロ感が漂う。少々いびつな四角形。ごまの粒が透けて見える。かまずに舌でそっと溶かす。「おいしいですね」とズウさんに声をかけると、「そうだね」。優しい甘さ。ごまの香りが漂う。

 大甞飴は麦芽水飴、砂糖、黒ごまで作る。原料や製法は百年前と変わらない。創業者は谷田社長の祖父・可思三(かしぞう)さん。兵庫県淡路島から移住し、「地元で採れるもので」(谷田社長)始めた商売が飴作りだった。

 道内は当時、物流網が未整備だったため、菓子問屋からは日持ちがし、大量生産できるお菓子が求められていたという。大甞飴はこの条件にぴったり。ただ、暖かいと飴が柔らかくなり味が落ちる。今でも販売は11月から2月くらいまで。「そこで、夏も売れる商品としてきびだんごを作り始めました」と谷田社長は説明してくれた。

 菓子問屋は大歓迎だったようだ。谷田社長が工場脇の庭に案内してくれた。二つの胸像が並んで立つ。左側が可思三さん。1942年(昭和17年)、道内17の菓子問屋から業界への貢献を理由に贈られた。右側が祖母おくのさん。戦後、同じく寄贈された。「立派だねえ」。冬空の下、3人で像を見上げた。

 70年代にはスナック菓子の普及で売れなくなり、豆腐やエノキダケの製造に乗り出したり、大甞飴の製造を7年間見送った時期もあった。しかし20年ほど前から、健康への関心の高まりもあり、谷田の素朴な菓子が再び注目を集め始めた。

 谷田社長は「大甞飴は谷田製菓の原点。大事にしていきたい」。取材後、飴を舌に載せた。次の100年も大丈夫、と思わせる飽きのこない味だった。(イラスト・渡辺俊博 文・中原洋之輔)

<メモ>

 「大甞飴」は、はがき大(110グラム)が194円、一口サイズ(18グラム)が52円。「日本一きびだんご」は短冊タイプと一口サイズがあり、味は4種類。いずれも道内の主なスーパーなどで販売している。工場見学は要予約(無料)。問い合わせは「谷田製菓」《栗山町錦3の134、(電)0123・72・1234》へ。