『札幌プロ文学運動覚え書』(1976年、新日本文学会出版部)は、表題の回想や多喜二論、本庄陸男論のほか、笠井らが出した当時のプロ文機関誌を復刻収録している点が貴重。また、八子政信編『笠井清全詩集』(沖積舎)は詩とその綿密な校訂のほか、詳細をきわめた年譜が笠井の生涯を跡づけ、戦前戦後の北海道文学運動の重要な資料ともなっている。

 プロレタリア詩人笠井清が「おふくろの死んだ十二月」と書き出した詩には、母のほかに姉、弟、祖父をも冬に亡くしたことが綴(つづ)られている。詩は「冬を憎み、冬に反抗した」、「世の中が変はるんだ/私は/冬をおそれてはならないのだ」と閉じられる。1940年、戦時下で密(ひそ)かに書かれたこの「冬」という詩は、笠井の故郷に対する愛憎の原型だ。

 北海道のプロレタリア文学者は数多く、上京して運動に携わるなか虐殺された小林多喜二、東京で転向文学によってデビューし敗戦直後に死去した島木健作などがいるなかで、笠井は札幌でプロレタリア文学運動(プロ文運動)に従事し、戦後も転向することなく90年に亡くなるまで旺盛な活動を続けた希有(けう)な書き手だ。

 笠井清(本名清司(せいじ))は1911年(明治44年)、砂川村(現砂川市)で生まれる。徳島からの開拓農民だった父は3年続いた石狩川の大氾濫と虫害で資産を失い、砂川村で木工労働者となる。四男清司はこの頃生まれた。9歳で母を亡くした彼は高等小学校卒業後、働きに出る。後に夜学に編入するものの、その頃父をも亡くし、旧制北海中学校(現北海高)も学費が払えず退学。このことが笠井の「貧乏人のない世の中」をめざす熱意の原動力となった。

 文学青年だった笠井は18歳の時に榎本という友人に出会い、彼の「労働者階級への燃えるような熱情」に触れ、決定的な影響を受けた。晩年まで用いた榎本剣次郎という筆名は事故死した彼に由来する。

 その後笠井は32年(昭和7年)、日本プロレタリア作家同盟札幌支部準備会の中心人物となり、機関誌を刊行する。第1号は即日発禁となり、第2号に榎本名義で発表されたのが、笠井の『全詩集』劈頭(へきとう)にある「水害地の兄弟へ」だ。石狩川の氾濫や10年にわたって争われた蜂須賀農場争議(雨竜村=現空知管内雨竜町)を折り込みながら、不在地主への怒りと「兄弟」への連帯を呼びかけるプロレタリア詩だ。劇団主宰の安念智康(江別市)によれば、笠井は石狩川を敵だと語ったように、氾濫の石狩川と貧困への怒りが刻まれている。

 戦後北海道における評論の隆盛を牽引(けんいん)した「北海道文学」などに連載の『札幌プロ文学運動覚え書』(76年刊)には、弾圧に晒(さら)されながらの運動が生き生きと描かれている。資料がほとんど残っていない北海道プロ文運動の数少ない証言は、東京のことに終始しがちなプロレタリア文学史を地方から眺め返す。大宅壮一が来道してようやく中央の活動がわかる場面や、多喜二の虐殺を獄中で知るなどの東京から二重に隔離された笠井の姿は、プロレタリア文学史、北海道文学史双方から見落とされる札幌プロ文運動の似姿だ。

 『覚え書』で描かれた33年(昭和8年)の一斉検挙(四・二五事件)以後も笠井は活動を続け、警察に尾行されつつ雑誌を立ち上げている。多くの作家が転向し、歴史小説や農民文学に転換していくなかでも、笠井は戦前戦後でその姿勢を変えていない。戦後も、戦前に創刊した「北方文学」を復活させるほか、いくつもの文芸誌を立ち上げ、北海道新聞社で組合を組織し、レッドパージに遭い争議団を結成するなど、文学活動と政治活動に両輪のごとく携わっていた。大きな力に抵抗するため、個々人の小さな声を集める場としての雑誌を重視した笠井にとって文学とは政治と別のものではなかった。

 82年の詩「神がみの下北半島祭」は、むつ市の原子力船母港建設反対運動を描く反核詩だ。原子力こそ貧困の地方へ押しつけられる二重の抑圧の象徴で、富裕と貧困の階級的問題は中央と地方の地理的問題と交差している。笠井の詩における「冬」の意味はここにある。

 近年でも六ケ所村、むつ市、大間という核開発の下北半島という貧困と地方の交差する場から怒りの声をあげる木村友祐「幸福な水夫」(2010年)に、北から中央を見返す抵抗の系譜を見いだせる。

 プロレタリア文学とは労働者「を」あるいは「から」書くのみならず、問題を階級的、政治的に捉え返す文学的闘争の運動のはずだ。北海道では石狩川ならずとも空知川はあふれ、冬季の過酷さや、広大さゆえの設備維持の困難さ、さらに原発再稼働をめぐる核の問題がありつつ、中央からは見落とされてしまう状況がある。漫画家の永島慎二は80年代のエッセイで笠井を70歳になってもプロ文運動に身をおく青年だと評した。彼が終生戦い続けた「冬」は現存し、その文業を読み直す意義は失われていない。

 <とうじょう・しんせい> ライター。1981年東京生まれ、和光大表現学部卒。共著に「ノーベル文学賞にもっとも近い作家たち」、「アイヌ民族否定論に抗する」がある。未来社PR誌「未来」に「『挾(はさ)み撃ち』の夢―後藤明生の引揚げ(エグザイル)」を連載中。岡和田晃編「北の想像力」に「裏切り者と英雄のテーマ―鶴田知也『コシャマイン記』とその前後」を収録。