「中央公論」3月号で「2017新書大賞」が発表された。ベストセラーとなった橘玲「言ってはいけない」が1位だったが、注目したいのは、2位と4位だ。

 2位は吉川洋「人口と日本経済」(中公新書)。経済成長のカギを握るのはイノベーションで、人口減少が進んでも日本は衰退しないと主張する。一方、4位は平田オリザ「下り坂をそろそろと下る」(講談社現代新書)。「もはや日本は、成長社会ではない」と断言し、寛容と包摂を実現する成熟のあり方を模索する。

 この両著が同時に支持されている現状は興味深い。成長路線と成熟路線。要するに、日本の将来に対するヴィジョンが割れているのだ。

 さて、ここで本題である。2月11日の「中日新聞」に上野千鶴子のインタビュー記事が掲載された。見出しは「平等に貧しくなろう」。上野は「人口減少と衰退を引き受けるべき」だという。経済成長という「妄想」は捨てて、「下り坂」の進み方を考えるべきであるという。国は社会民主主義路線を採用し、国民負担率を増やして再分配機能を強化する。NPOなどの「協」セクターの機能を活発化させ、市民社会における再分配も強化する。

 この主張は、平田の方向性に近い。一見すると、現代のリベラルな左派に受け入れられそうな主張だ。しかし、平田の著書が支持を集める一方で、上野のインタビュー記事に対しては批判が相次いだ。特に上野の支持層であったはずの左派から厳しい批判が繰り返された。一体、なぜか。

 理由は二つあるだろう。一つは、「貧しくなろう」という呼びかけへの反発である。経済的豊かさの恩恵を受けて来た年長世代から「貧しくなろう」と言われた時、貧困問題に直面する若者世代はいら立つ。平等に貧しくなるというヴィジョンなど幻想にすぎず、貧しい人間がより貧しくなるだけだと考える。

 この疑念を払拭(ふっしょく)するには、再分配政策が機能することを示さなければならない。高所得者に対する累進課税の強化とともに、国民全体の負担も増加する。そんな負担増の政策をみんなが受け入れるには、それなりの動機づけが必要となる。この「再分配の動機づけ」問題をクリアしなければ、社会民主主義的政策はリアリティーを失う。

 もう一つは、上野が人口減少を移民で埋め合わせることに否定的な主張をしている点である。世界では排外主義が巻き起こっており、日本もその例外ではない。「ニッポン・オンリー」のメンタリティーが強い状況では、移民政策は難しい。そう上野は主張する。

 これに対して、「移住者と連帯する全国ネットワーク(移住連)・貧困対策プロジェクト」が公開質問状を出し、批判した。上野が移民増加による治安悪化を懸念していることに対して、移民が増えても治安悪化が起こっていない現実を指摘する。また、日本は「すでに実質的な労働開国に踏み切って」おり、移民制限的な政策を採っても移民の流入は続くという。さらに日本各地で多文化共生のための取り組みが進められていることを指摘し、上野の見解を質(ただ)している。

 上野はウィメンズ アクション ネットワークのホームページ上で反論し、「移民は政治的に選択することができる」という。大量移民が進めば、移民への抑圧は強化され、テロや暴動が発生しかねない。また、排外主義が高揚し、移民労働者への差別や虐待が起きかねない。この懸念が現実的である以上、「移民の大量導入に消極的」であるという。「理想主義は貴重なものですが、理想と現実を取り違えることはできません」

 ここで上野は重要なことを指摘する。いわく、国境を開放した国民国家など存在しない。「福祉国家にはつねに潜在的に境界の管理が伴」う。再分配を強化するには、国民の境界を意識せざるを得ない。

 上野の主張は、リベラル・ナショナリズム論へと接近する。実際、1990年代以降、新自由主義が拡大したヨーロッパでは、社会民主主義者を中心にナショナリズムの見直しが検討されてきた。困っている国民を助けようという「同胞愛」が、再分配の動機づけとして有効だと考えられてきたのだ。リベラル・ナショナリズム路線は移民を一定の範囲内にとどめ、グローバリズムを制限しようとする。

 ここに日本のヴィジョンの選択肢が示されている。「移民1千万人時代」を推進し、多文化共生という理想を追求すべきか、リベラル・ナショナリズムに基づく国民共同体の再分配強化を目指すべきか。それともイノベーションの追求によって、経済成長を目指すべきか。

 上野の議論への批判を、論争へと発展させる必要がある。上野によって、リベラル陣営に重要な一石が投じられたとみるべきだろう。