「決断していただいた努力に敬意と感謝を申し上げます。短期間で決断させてしまい、申し訳ありません」。21日正午すぎ、上京中の高橋はるみ知事は道東京事務所で携帯電話を手に頭を下げた。

 電話の相手は、北海道新幹線の札幌延伸に伴う並行在来線の経営分離問題で同日、同意を表明した工藤寿樹・函館市長だった。

 だが、その1時間半ほど前、函館市役所で記者会見した工藤市長は「道は人ごとだった。道が主体になってまとめる話ではないか」と述べ、経営分離問題での道への不満を隠そうとしなかった。

 政府の延伸着工の判断を目前に、着工条件の道内沿線自治体の同意で唯一判断を先送りしていた函館市。市内では分離反対の声が多数を占める中、なすすべもなくなった道が頼ったのは市長の「政治決断」だった。

 18日には知事が函館入りし、市長と会談したが、危機的な財政状況にある道には函館側が期待した新たな提案もできなかった。同意表明前日の20日夜、市幹部は「いまさら不同意なんてできるわけがない。すべての責任が市長に押しつけられてしまった」と不満を漏らした。

 そもそも今回の地元同意取り付けが混乱した背景には、道の出遅れがあった。

 2009年当時、国土交通相として自公政権の延伸着工決定を「白紙化」した前原誠司氏が、野田佳彦政権で党政調会長になったこともあり、道は「延伸実現は遠い」とみていた。ところが、民主党内の動きが加速。読み誤った道が、地元同意の調整に着手したのは10月に入ってからだった。

 過去の失敗も影響した。「できない約束はしないように」。知事は同意を取り付けに奔走する幹部に繰り返し言い続けた。

 横路孝弘知事時代の1994年、道は函館市と確認書と覚書を交わし、函館駅への新幹線乗り入れを約束した。乗り入れには巨費を要し、当初から実現を疑問視する見方もあったが、05年に高橋知事が「実現不可能」と撤回。函館市民の不信感につながった。

 これを教訓にした知事の厳命に、当初は道庁内にあった地元側への「手土産」を何とか模索しようとする動きも止まった。

 しかし、反対論も多い中での「駆け込み」同意は、しこりも残した。21日朝、同意表明の直前に工藤市長が訪問したのは、分離に強く反対してきた函館商工会議所だった。松本栄一会頭は理解を求める市長に「多くの市民から石を投げられることを覚悟した方がいい」と言った。

 「疲れた」。1時間近い記者会見を終えた工藤市長はその足で函館空港に向かい、公務のため上京。東京までの機中、窓側に座った市長は頭を壁に傾け、ずっと目を閉じていた。

 来年度までに着工されることが固まった北海道新幹線札幌延伸。2年前の政権交代で白紙に戻った札幌への新幹線乗り入れが再び動きだす。期待と不安が交錯する道や自治体、経済界の事情を探った。(5回連載します)

 ◇函館駅乗り入れ問題◇
 函館市は函館駅への新幹線乗り入れを目指してきた。1994年11月に当時の木戸浦隆一・函館市長が横路孝弘知事と交わした確認書と覚書では、新函館駅は現在の北斗市に設置するとした一方、函館駅に新幹線車両が乗り入れるための工事を行うと明記。しかし、高橋はるみ知事は2005年、「工事費が莫大(ばくだい)なため、実現困難」と表明した。