JR東日本の歴代新幹線車両。真ん中の鼻先の丸い車両が、鈴木さんが初めて運転した200系。右から二つ目が北海道新幹線H5系と同仕様のE5系

鈴木隆夫さん

 来年3月の北海道新幹線開業まで、あと9カ月余りと迫った。新型車両H5系の営業運行を待ち望む道南の人たちに、国鉄・JR東日本の元新幹線運転士、鈴木隆夫さん(68)=今金町=が、一般には知られていない新幹線の豆知識やエピソードの数々を紹介する。(三宮大平が担当し、5回連載します)

 もうすぐ道南に新幹線がやって来ますね。私は40年前、長万部から将来の北海道新幹線の運転士候補として東京に送られましたから、ついに実現する地元開業に胸を熱くしています。

 初めて新幹線の運転席に座った日のことは忘れられません。東北新幹線が開業する3年前の1979年のことでした。

 東北新幹線は、当時の国鉄の一大プロジェクト。東海道新幹線0系での蓄積を生かし、大宮―盛岡間に200系という雪に強い新型車両を走らせる計画です。その200系の試験運行が始まったのが79年だったというわけです。

 この当時の私は、青梅線という都内のローカル線で勤務しながら、国鉄の教育・研究機関の中央鉄道学園で新幹線の運転士教育を受けていました。車の運転に例えれば、学園での教育は自動車学校の座学、試験運行は仮免・路上教習のようなものです。

 最初の試験運行は、仙台試験線管理所―一ノ関(岩手県)間で、時速10キロの低速から走り始めました。新幹線の高架はビルの4、5階の高さです。視界には左右の防音壁と、上下線4本のレールがどこまでも続くだけ。「万里の長城みたいだ」。これが運転席に座った第一印象でした。

 線路には信号も踏切もありません。頭では理解していましたが、それも実際には驚きでした。先生役を務めてくれた東海道新幹線の先輩運転士のアドバイスはこうでした。「前方より手元の計器を見ろ」

 当時の最高時速210キロで走行中、非常ブレーキをかけて止まるまでに3キロの制動距離が必要とされていました。3キロ先は目を凝らしても見通せません。線路には人も車も入ってこない。すべてが制御され、必要な情報は計器が伝えてくれる新幹線の運転では、前を注視するという意味が在来線とはまったく違うのです。長万部で蒸気機関車やディーゼル車に乗っていた私には、新幹線はどこまでも規格外でした。

 <略歴>すずき・たかお 1947年、今金町花石生まれ。今金高(現檜山北高)卒業後、国鉄入り。長万部機関区でSLなどの乗務員として10年間勤務後、75年に東京に転勤し、82年、東北新幹線開業と同時に新幹線運転士となる。87年、国鉄民営化で発足したJR東日本に移り、上越、長野新幹線にも乗務。2005年に退職してUターン、現在は故郷の花石でジャズ喫茶店を営む。