「がんが、自分の生き方を、考え方を変えた」。がん患者ら約180人を前に体験を語ったピーコさん

 ファッション評論家でシャンソン歌手のピーコさん(72)は、悪性黒色腫(メラノーマ)というがんになり、左目を摘出しています。2月に札幌でがんと仕事を考えるフォーラム(道などの主催)が開かれ、「片目を失ってみえてきたもの」と題して闘病体験を語りました。

 28年前、44歳の2月でした。原稿を書こうと思ったら、原稿用紙のけい線が見えなくて書けなくなっちゃったんです。老眼かもしれないと眼科へ行きました。

 乱視と結膜炎で、薬をつけてそのままに。その後、人間ドックで網膜剥離が見つかり、かかりつけ医の紹介で眼科医のS先生に診ていただきました。

 S先生は「とてもよくない状態だ」とおっしゃり、詳しい検査を受けました。結果を聞く前に、周囲の看護師さんらの話し声が聞こえ、自分の病気がメラノーマだと分かりました。

 メラノーマになった友人がいました。腫瘍が手首にあり、すぐに切りました。次に会った時はひじからなくなっていた。その次、肩から取らなきゃいけないと言って、結局亡くなりました。

 だからメラノーマと聞いて、告知される前に(自分も)がんなんだ、と思いました。S先生は医学書と私の目の写真を見せて説明し、「目を摘出しなきゃならない」と言いました。私は「じゃあ手術してください」と決めてしまいました。

 (芸能界に)引っ張り上げてくれた(シャンソン歌手の)石井好子さんや(タレントの)永六輔さんらに電話したら、「すぐに決めたらだめ。必ず何人かの先生に診てもらいなさい」と。セカンドオピニオンですね。でも28年前はあまり認知されていなかった。私はS先生を信じようと思ったので、受けませんでした。

 手術は夏でした。目を取るのは簡単でね、脳から来た視神経と、上下のまぶたとつながる各3本の筋肉を切ると、25分くらいで摘出できます。でも、目の中を守る硬い膜からがんが外に漏れないように2時間かけて取りました。摘出した目を病理検査に出し目の外にがんの細胞が出ていないか調べます。結果がでるまで1週間、家に帰れません。

■寄付で義眼作製

 目を取ったらどうなるのかと思ったら、上下の結膜を縫い合わせて壁を作って、義眼を入れるんです。義眼って見たことあります? 丸い目玉だと思っていたらアクリルでつくった厚いコンタクトレンズみたいなもの。よい方の目の写真を撮って目をつくるんです。

 手術から2日目くらいに代用の義眼を入れました。廊下でくしゃみをしたら義眼が落ちてしまいました。部屋に持ち帰ってふいて入れました。この時、手術の痕を初めて見ました。おそるおそる。ピンク色で、思ったよりもきれいでした。

 1週間後、病理検査の結果がでました。がんは目の外には出ていませんでした。その後、今ではしないそうですが、28年前は転移しないように抗がん剤治療をしました。4日間、点滴で抗がん剤を入れました。

 退院後、自分の義眼を作るんですけど、健康保険がきかなかった。当時1個30万円。1年ごとに替えねばなりません。(映画評論家の)淀川長治さん、永六輔さん、(タレントの)黒柳徹子さん、石井好子さんらが「ピーコにきれいな目を」と1口1万円のカンパを知人に呼びかけてくれました。300人の方が賛同し約300万円集まりました。

 私も(双子の弟の)おすぎも、ゲイをオープンにして生きてきたでしょう。結婚するわけでもないし、誰も頼りにならないから「自分の面倒は自分でみる」「他人に迷惑はかけない」という生き方をしようと2人で話していたんですね。だから、ずっと肩肘張って生きてきた。毒舌だとか悪口だとか、いっぱい言われてきた。

 そんなときがんになり、みなさんから寄付をいただいちゃったりして。なんていうのかしら。寄付いただいた300人の名前を見たら、私が嫌いと思っている人が3人くらいいました。

■弱い人のために

 そのときでした。「誰の世話にもならない」「独りで生きていく」と思っていたけれど、人間って「1人で生きているのではない」「生かしてもらっている」ことに気付いたんですね。

 もしかしたら、がんが転移したりするかもしれない。いつまで生きられるかは分からないけれど、生きている間は、自分のためではなく「誰かのために役に立つ」。私たちはゲイですから、「弱い人のために役に立つ」生き方をしたいと考え方が変わったんですね。

 がんになっていなかったら、自分のことしか考えない、とても嫌な人間になっていたと思うんです。がんになって生き方や考え方を変えた。そうしたら「コメントがつまらなくなった」とも言われましたけどね。

 72歳。今も仕事をさせてもらっています。自分を変えてくれたのが、がんだと思ったら、がんになったことがありがたい、とさえ思うようになりました。私はがんで片方の目を失った。でも、その後の人生の方が、とても気持ちが楽に、幸せに、生きてきたなと思っています。そう思って生きてきたから今の自分があるんだとも考えています。(編集委員 岩本進)

 1945年、横浜市出身。本名は杉浦克昭(すぎうらかつあき)。文化服装学院卒。78年、双子の弟おすぎと一緒に「おすぎとピーコ」でラジオ出演。以後、テレビや講演など幅広く活動。著書に「片目を失って見えてきたもの」(文芸春秋)など。