早春の源泉は爽やか。天と地を巡り生まれる自然湧出泉だからこそ、季節によって印象も違う

こっくりした源泉魅力

 瀬音が耳洗う川べりの露天。早春の淡い光が川面に躍る。残雪を押しのけ、岸辺の青草が空へと伸びる。「…春が来たんだなぁ」

 湯殿に来る途中、この宿のかわいい「春」、生後7カ月の沙代(さよ)ちゃんと初対面した。過ぎる期待は良くないものの、このつぶらな瞳の赤ちゃんが、ゆくゆくは―とつい想像して胸が熱くなった。

 道南八雲の雲石峠から日本海へと向かう道沿い、見市川の河畔に湯けむりをたなびかせる一軒宿、見市温泉旅館。筆者の知る限り、客室11限りのこの素朴な宿こそが、創業から世襲で続く北海道の湯宿の中で最も歴史が長いのだ。

 湯の起こりは定かではないが、天明年間の松前国道中記、安政年間の罕有(かんゆう)日記など江戸期の複数の記録に温泉の存在は散見される。一族に伝わる開業は明治元年(1868年)。初代・大塚要吉(ようきち)氏が慶応末期、雪の山中に湯けむりを見出し整備したという。その山中に、温泉の評判だけで遠くは樺太(サハリン)からも湯治客らが訪れた。感謝の言葉で育った歴代あるじは、時代ごとの改築においても常に湯量に応じて湯船を仕立て、源泉を掛け流すことを踏襲する。湯船は今、内湯に一つ、露天に一つ。そこにこっくりした源泉がとめどなくあふれる。

 3年前、現在のあるじ、大塚大(だい)さんがまだ40歳に届かぬうちに6代目を継いだのは、料理の腕と人柄で慕われた5代目の父が他界したため。だが今その傍らには6代目おかみの予利(より)さんがいて、後ろでは母とも子さんが見守り、皆で宿を守る。

 夕げは、宿代では考えられぬ地物づくしの大盤振る舞い。献立は日々の水揚げや山菜の育ち具合で変わっていくが、この晩の三平汁仕立てのヤナギノマイは澄んできらめく春の海の味。フキノトウとフキの葉の天ぷらは渓谷の香気を口中に広げた。

 本物の湯と本物の味が、末永くこの小さな宿にあり続けることを、心から願う。(旅行ジャーナリスト)

住所 渡島管内八雲町熊石大谷町13
電話 01398・2・2002
泉質 ナトリウム-塩化物泉
1泊2食料金 大人9千円から、アワビのフルコースは同1万4500円から(いずれも税込み)、子供料金もあり
日帰り入浴時間 午前9時~午後9時
日帰り入浴料 大人500円、小学生300円、未就学児無料
日帰り入浴定休日 無休
交通 道央自動車道八雲ICから車で約30分

 「心の湯」は今回で終わります。