政府は教育勅語について「憲法や教育基本法などに反しないような形で教材として用いることまでは否定されない」とする答弁書を閣議決定した。

 教育勅語は、国民に国家への忠誠を誓わせるために使われた戦前、戦中の教育規範だ。軍国教育の支柱とも言える。

 その内容は、自由や平等、個人の尊厳など、現行憲法が掲げる理念とは大きくかけ離れている。

 園児に教育勅語を唱和させていた学校法人「森友学園」運営の幼稚園に対し、大きな批判が起きたことは記憶に新しい。

 なのに、なぜ教材として「否定されない」のか。

 勅語がたどった歴史を直視しなくてはならない。政府の決定には大きな疑問が残る。

 教育勅語は友達と仲良くしたり人々に優しくする―など、守るべき徳目を「臣民」に説いている。

 その上で、いざというときはお国のために身をささげ、「天壌無窮ノ皇運(永遠の皇室の運命)」を助けるよう求めている。

 つまり、このような徳目を守るのは、すべて皇室国家を守るために行うべきだとしているのだ。本質を見誤ってはならない。

 こうした負の側面を学ぶために活用することはあってもいい。だが、閣僚らの発言を聞くと、どうもそういう趣旨ではないようだ。

 安倍晋三首相は当初、「森友」の教育方針を評価していた。稲田朋美防衛相も「親孝行や友達を大切にするといった核の部分は大切だ」と述べている。

 だが、内容の一部がいいから教育勅語自体も認めるとするのは、問題のすり替えに他ならない。

 そもそも、友達を大切にする、人々に優しくするといったことを教えるのに、教育勅語を引き合いに出す必要はないはずだ。

 文科省は2015年、国立大学の入学式や卒業式で、国旗掲揚と国歌斉唱をするよう要請した。

 新しい学習指導要領では、幼稚園でも国歌に親しむことが盛り込まれた。これを受け、厚生労働省は保育所の運営指針にも、国旗国歌と親しむようにと明記した。

 教育現場での「勅語復活」を認めるのと、どこか軌を一にしていないだろうか。

 教育勅語は現行憲法と相いれるものではない。だからこそ戦後、国会が衆参両院でそれぞれ「排除決議」と「失効決議」を行い、勅語と決別したのだ。

 それを一内閣が簡単に覆してしまっていいはずはあるまい。